© 2018 by Kurotama Kikaku

 

ABOUT TOKIJIRO

​【沓掛時次郎】

長谷川 伸(1884~1963)

 

昭和三年(1928)『騒人』七月号に掲載され、同年十二月帝国劇場で新国劇の沢田正二郎によって初演され、劇作家長谷川 伸の出世作となった。長谷川は新聞記者のかたわら小説や戯曲を書いていたが、大正十四年(1925)都新聞社を辞め、作家としての道を歩きはじめた。それから僅か三年後に、流行作家の仲間入りをしたことになる。

『沓掛時次郎』は劇場での上演回数はもちろん多いが、映画や歌などにも取り上げられ、実(じつ)のある男の生き方が多くの人々の共感をよんでいる。

  

                                 平岩弓枝

​                            

長谷川伸傑作選より

【沓掛時次郎との出会い】

 

2009年、俺はある劇団の舞台に出演するので東京に滞在していた。その東京滞在中にふとしたキッカケで作家の高取英氏と会うことになる。新宿で待っていた俺は高取氏が現われると彼に連れられてゴールデン街の小さなバーに入った。そこで俺と高取氏は、谷崎潤一郎、三島由紀夫、寺山修司、シェークスピアなどなど演劇の話で盛り上がった。その時に高取氏が俺に、長谷川伸という作家を知っているかと聞いてきた。もちろん俺は知らなかった。すると高取氏は「きっと気にいるから読んでみな」とだけ言った。

 

翌日、俺はすぐさま新宿の紀伊国屋書店に行き長谷川伸を探した。そこで“長谷川伸傑作選”「歿後四十五周年記念出版」を見つけ、さっそく購入して読んだ。そこに収められていた「沓掛時次郎」を読んだとき、俺はガガガ〜んと衝撃をうけた。こんなにエンターティメント性の高い作品が1928年(昭和3年)に書かれていたこと。そしてこの芝居をやりたいと思った。

 

NYに戻った俺は、まず最初に沓掛時次郎のステージリーディングを計画。場所を探し、小さなリハーサルスタジオをおさえた。次に役者だ。オリジナルの日本語でやるので、NY在住仲間の日本人役者たちに声をかけた。音楽と動きを入れたいので、アコスティックギターと付け打ちを使う。そして2009年、1回目の沓掛時次郎ステージリーディングをやった。ステージリーディングは大成功。手応えを感じた俺は、次は時次郎の英語翻訳を考えた。そして知り合いの翻訳家、常田景子さんに翻訳をお願いした。常田さんは快く応じてくれた。

 

上がった時次郎の英語翻訳を読んで、俺はこの翻訳でバイリンガルでの上演を考えた。世界中の言語が街中で飛び交うニューヨーク。英語と自国の言葉を混ぜての会話はごく当たり前のように耳にする。『ニューヨーク版沓掛時次郎』ならではのバイリンガル演劇。キャラクターの人間関係を考えて2010年、バイリンガルでの2回目のショーイングをやった。

 

バイリンガルでやることにほとんどの人から「危険だ。観る側が戸惑う。話についていけなくなる。」など、正直反対意見の方が多かった。でも俺はあえてその危険な演劇にチャレンジした。

 

この時もマンハッタンの小さなスタジオを借り、ギターとつけ打ち、新たに映像と日本語のセリフには英語の字幕をつけ、work-in-progressという形でやった。バイリンガル劇は大成功。公演後に観客に感想を聞いてみた。「話はすごくわかりやすかった」、「バイリンガルと思えないくらいセリフは調和していた」など、ポジティブなフィードバックばかりだった。今回も手応えを感じた俺は、次は劇場を借りての、オフ・オフ・ブロードウェイ公演を考えた。

どうしてもオリジナル曲を入れたいと思った俺は、友人で作曲家の吉俣良氏にお願いした。彼も快く協力してくれた。それからの1年「NY版沓掛時次郎オフ・オフ・ブロードウェイ公演」に向けての準備が始まる。この作品を公演する上で一番重要なのは劇場だ。劇場次第でその作品の色が全く変わる。なので沓掛時次郎を上演する小屋はどこの劇場でもいいわけではない。俺はNYで、アーティスティック且つこの芝居に最も適すると思う劇場に問い合わせた。しかしそれらのどの劇場も無名で実績のない俺らには見向きすらしなかった。それでも俺はNY中の劇場を探し回った。

 

ある日、一つの劇場の下見に行った後、次の下見のアポに向かう途中の地下鉄で、以前所属していたバットカンパニーの芸術監督のジム・シンプソンにバッタリ会った。数年振の再会。俺が劇団を退団後、今まで同じNYに住んでいながら一度も街中で会うことはなかったのに、、。ジムが下車する二駅の時間内に、俺は機関銃のように沓掛時次郎の話をした。するとジムは「明日Flea Theaterに来い、そこでゆっくりと話そう」と言ってくれた。Flea Theaterは彼らの劇場であり、NYで最もヒップでアーティスティックな作品をプロデュースしているトライベッカにある小劇場だ。俺は翌日ジムに会いにFlea Theaterに行き時次郎の話をした。そしてその年、2011年11月に "KUTSUKAKE TOKIJIRO" オフ・オフ・ブロードウェイ公演が決まった。

 

2009年、東京で長谷川伸の沓掛時次郎に出会ってから3年。その間2度のショーイングとワークショップを重ねてようやく劇場公演までこぎつけた。これが俺と時次郎との出会いのスタートラインだった。

                                                                                     Jun Kim